天王寺の大阪城『ホテル醍醐』は石碑のクセが強めなんじゃ【天王寺】

ホテル醍醐 宿

 大阪の観光地といえば大阪城。古くから残る歴史的な城というよりも、改修に改修を重ねた近代的なサイボーグ城で、世界でも最初期の鉄骨鉄筋コンクリート建築として注目され「近代建築」として登録有形文化財入りした、昭和の名建築だ。

 実は大阪城は、天王寺にもある。私が学生時代の青い私欲のために勝手に名付けただけだが。それは天王寺公園のすぐそばに建つ『ホテル醍醐』だ。見事な天守閣が、南大阪の玄関口である天王寺で、見上げるように高く建っている。あべのハルカスにも存在感は負けていないぜ。

ホテル醍醐

 夜は煌々とライトアップされてキレイだ。天王寺での俺たちの夜を見守ってくれている。

ホテル醍醐
ホテル醍醐

 天守閣を構えるラブホテル醍醐は天王寺公園のそばにあって、一泊4,500円で宿泊できる。安くてうれしい。けれど一人や同性同士ではNGだ。久しぶりにテレビと一体型のファミリーコンピュータやりたかったな。

ホテル醍醐
全室有線故障。冷蔵庫も半分くらい故障。

 夜の天王寺で飲んでいて、懇ろになった異性に対し 「今から大阪城いこや!」が決め台詞の、最悪にダサかった学生時代。自分勝手な私は、照れ隠しもあり女の子そっちのけで、CDカラオケやテレビ一体型ファミコンに大興奮。放置気味の女の子は独特の装飾とボロい設備にバチギレ。 良い思い出がない事が、良い思い出のホテルだ。

 立派(?)な天守閣や、昭和の時代を感じさせるレトロな装飾や内装で、一部の人たちに人気のホテル醍醐だが、私はこのホテルの違う部分が大好き。それはホテル出入口のわきに立っている、安土桃山時代の茶臼山の歴史を伝える石碑だ。この石碑のテンションがかなりユニーク。感情がかなり込められている。

ホテル醍醐
ホテル醍醐

 茶臼山歴史について!

 慶長3年、1598年8月18日、豊臣秀吉は63才で死去!(中略)石田光成軍が敗北した!(中略)夏の陣では幸村の激戦地となった!(中略)父にならって、優れた戦略家であった!(中略)全員討ち死にし大阪城本丸炎上、秀頼、淀君討ち死に豊臣家二代にわたる栄華は、夢ときえた!!

ホテル醍醐

 

 まず「茶臼山歴史について!」と言いながら、書かれている茶臼山の歴史が限定的すぎるのに笑ってしまう。あと石田光成は、三成の誤字かな。

 石碑でビックリマークを多用しているものは、あまり見かけたことがない。発注者が石碑の原稿を考えたとき、かなり気持ちを入れ込んでしまったんだろう。でも、普通のよくあるその土地の歴史やエピソードが粛々と刻まれている石碑よりは、心に伝わってくるものがある。普通のランドマークにこの石碑があったならば、石碑に興味はないけれど、思わず読んでしまう人達もいるかもしれない。しかし、このあたりに住んでいる地元民ならともかく、ホテル醍醐の周辺のラブホテルを利用するような人たちは、事前や事後にはこんな石碑を読むどころか、目につくこともないだろう。

 思わず見上げてしまう建物を見たとき、ヤリたい女性しか視界に入らないようなとき、そういう場面こそ冷静に足元まわりを見渡してみようと改めて思わされたスポットだった。

「ホテル醍醐」について

アクセス :天王寺駅、阿部野橋駅から徒歩8分くらい
住所   :大阪府大阪市天王寺区茶臼山町3−11


Deing(初回限定盤A)(DVD付)